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東横INNから歩いて行ける日本100名城
歩いていける100名城

出張先で地元の美味しい食べ物を囲んで宴会などするのが、
出張での楽しみのひとつでしたが、
その楽しみもコロナの影響で少なくなった現在、
仕事や用事の空いた時間で、
ちょっと足を運んでひとりプチ観光でもしてはいかがでしょうか。
今回は日本100名城巡り編です。
東横INNホテルから30分以内で歩いていける日本100名城(日本続100名城)をご紹介します。
時間がありましたら是非寄り道してみてください。

 出張や旅先で地元の美味しい食べ物とお酒をとことん堪能する宴、それも楽しみのひとつではありますが、心行くまでというのはなかなか難しい現状。であれば少し趣向を変えて、仕事終わりや旅の予定の空いた時間を利用した、散歩気分のプチ観光を加えてみてはいかがでしょうか。
 今回は名城巡り編。東横INNから歩いて30分以内でいける「日本100名城」「続日本100名城」の中からご紹介します。

東北

弘前城
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概要
100名城No4
スタンプラリー設置場所
弘前城情報館
別名
鷹岡城、高岡城
城郭構造
梯郭式平山城
指定文化財
重要文化財
(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門) 国の史跡
住所
〒036-8356
青森県弘前市下白銀町1

津軽平野の丘陵地に築かれた4万7千石の弘前藩の政庁として築かれた。
城下は城の北・東・南の三方に広がり、現存する三層三階の天守は、もともとは本丸を固
める辰巳櫓であったが、五層天守の焼失後に改築されたものである。
弘前城といえば桜の名所として名高い。城内にある弘前公園には2600本が咲き競う。
その始まりは1715年に京都からカスミザクラを取り寄せて植えたことだと伝えられてい
る。その後明治時代の1882年(明治15年)に荒れ果てた城内を見かねた旧藩士の菊池楯
衛がソメヨシノを1000本植栽した言われている。
弘前城下町の北側「仲町重要伝統的建造物保存地区」には武家屋敷、商家などが残ってお
り、城下を散策しても楽しい。

盛岡城
盛岡城
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東横INN盛岡駅前から徒歩15分(1.1Km)

概要
別名:不来方城
100名城
100名城No6
スタンプラリー設置場所
プラザおでって2階観光文化情報プラザ
もりおか歴史文化館
城郭構造
連郭式平山城
指定文化財
国の史跡
住所
〒020-0023
岩手県盛岡市内丸

盛岡藩南部氏の居城である盛岡城は、北上川と中津川の合流地であった丘陵に築かれた平山城である。本丸、二の丸、三の丸が並ぶ連郭式の城で、本丸には天守台がある。東北では数少ない石垣の城である。現在は建物が失われ、石垣のみが残されている。
また盛岡城内にある桜山神社には、盛岡城の築城時に発見された烏帽子岩という巨大な岩があります。烏帽子岩は、苦しい時に立ち向かうための自信や勇気を授けてくれると言われているパワースポット、仕事などで困難な場面に立ち向かうときや、新しく何かを始める決断をしたときに訪れるといいでしょう。

霞城公園(山形城跡)
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東横INN山形駅西口から徒歩13分(1.1Km)

概要
続100名城No109
スタンプラリー設置場所
最上義光歴史館
山形市郷土館受付窓口
二ノ丸東大手門櫓内部
別名
霞城、霞ヶ城、吉字城
城郭構造
輪郭式平城
指定文化財
国の史跡
住所
〒990-0826
山形市霞城町1-1

南北朝期に斯波兼頼によって築かれた山形城は、斯波氏の子孫である最上義光が
戦国期に城域を拡大し、出羽57万石の拠点の城とした。最上氏の後に鳥居忠政が入り、さらなる改修がされ、本丸を中心に二の丸が囲み、さらに広い水堀と三の丸が巡る輪郭式の縄張りをしていた。明治まで譜代大名の支配が続いたが、小大名ばかりで大幅な城の整備はなされなかった。
復元整備が進み、巨大な石垣、大手橋、東大手門櫓など見ごたえ満載です。

関東・東京

皇居(江戸城跡)
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概要
江戸城は1457年に麹町台地の東端に、扇谷上杉家の家臣太田道灌が築いた平山城である。 1590年に徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となり、江戸幕府が開幕すると、大規模な拡張工事が、特に慶長期のおよそ10年の間に集中的に行われ、またその後も2度ほど拡張工事が行われ、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。 およそ260年にわたり、幕府の政庁、15代におよぶ徳川将軍およびその家臣団が政務を行う場所となった。 将軍は江戸城内に住み、将軍の家族女性らが住む大奥も設けられた。将軍の補佐役の老中やその下の若年寄などは月番制つまり月替わり制でそれぞれ数名が担当し、江戸城周辺の屋敷から日々登城(出勤)した。 江戸城に出勤する役方と呼ばれる人々は老中や若年寄以外にも目付・奉行・小姓等々もいた。 また江戸城には番方と呼ばれる警護・警備の仕事をする人々も必要で、一日を3分割して3交代制で勤務した。それらを合算すると日中の江戸城には五千人ほどの男性が常駐していたと推算され、さらに大奥には約一千名ほどの婦女子がいたと推算されるので、時間帯により人の出入りや増減はあるにせよ日中は六千名ほどが江戸城内にいたと推算される。 江戸時代末の1868年(慶応4年) 3月、新政府の東征軍が迫る中、幕臣の勝海舟と東征軍参謀西郷隆盛の会談により江戸城への総攻撃が中止されたといわれる。 江戸城開城により徳川家は江戸城から退出し、代わりに東征軍大総督有栖川宮熾仁親王が入城して、鎮守府を置いた。京から明治天皇が江戸に行幸した折の居所「皇居」となり短期間だが東京城と改名され、その後は皇居、宮城(きゅうじょう)として使われている。 以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある江戸城の中心部であった天守閣・本丸・二ノ丸・三ノ丸の跡一帯は皇居東御苑として開放されている。南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。 国の特別史跡に指定されている。
住所
〒100-8111
東京都千代田区千代田1-1
電話番号
03-3213-1111


小田原城
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東横INN小田原駅東口より徒歩2分(170m)

概要
100名城No23
スタンプラリー設置場所
天守閣1階
別名
小峯城(小峰城)、小早川城(小早川館)
城郭構造
平山城
指定文化財
国の史跡
住所

小田原市城内6-1
電話番号
電話番号非公開
営業時間
公開:9:00~17:00 ※最終入館16:30
休業日
休館日:休館日:12月第2水曜日、12月31日、1月1日
当館から見えます!
夜はライトアップ☆彡四季折々のお城が楽しめ、春夏秋冬様々なシーンで魅了されます。

建築者は不明であるが、15世紀頃大森氏が居城しており、北条早雲の攻略されてから北条氏の居城となった。北条時代には城郭を拡張し、上杉謙信や武田信玄も攻略できなかった難攻不落の城となり、北条氏の関東制覇の本拠となった。
豊臣秀吉が20万の大軍に包囲され、3カ月余りの籠城の末開城されましたが、そのときの小田原の総延長9Kmにおよぶ総構えを構築していた。
江戸時代に入り、徳川の譜代大名大久保田忠世・忠隣によって近世城郭として整備され、現在の小田原城に残されている石垣などは江戸時代の構築された城郭である。
小田原城は桜100選のひとつであり、天守閣や堀を背景に桜を楽しむことができ、夜もライトアップされて1日中楽しむことができる。

水戸城跡
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概要
100名城No14
スタンプラリー設置場所
弘道館料金所窓口
別名
馬場城、水府城
城郭構造
連郭式平山城
指定文化財
茨城県史跡、国の特別史跡(藩校)
住所
〒310-0011
茨城県水戸市三の丸

徳川御三家の水戸徳川家の居城である。那珂川と千波川を天然の堀とした丘陵地に築かれた。東から三つの曲輪が並んだ連郭式の城で、石垣を用いず曲輪の間に空堀を掘り、土塁を盛って城とした。海鼠壁の外壁をもつ御三階櫓を二の丸に建て。それを天守とした。天守台はなく地面に直接差建てられた。